· 

子どもへの愛を勘違いしていた。

子どもを小さい頃から保育園に預けたり
一緒にいても家事などで忙しくて構ってあげられなかったりすると
子どもに一緒にいてあげられなくて、遊んであげられなくて、ごめんねと思ってました。
 
 
一緒にいること、遊んであげることが愛だと思っていたんですね。
 
 
ママは家事に育児に毎日大忙し。
手を抜けるとこは抜いても、毎日バタバタです。
 
そんな時に子どもが遊んで~!と周りをうろつく。
 
心や時間に余裕のある時は、一緒に遊んであげられるけど
いつもいつもは無理!
 
「うるさーい!」怒鳴ってしまったり
時には手をあげそうになったり。。。
 
そんな自分が許せなくて罪悪感を感じてしまう。
 
そして、明日はもっと子どもに優しくしよう、笑顔でいようと無理をする。
 
無理をして、我慢をして、笑顔で優しくしようなんて思うから
子どもへのイライラが爆発してしまう。
 
そんな悪循環の繰り返し。
 
私はただ、子どもともっと一緒に笑顔で過ごしたいだけなのに、
子どもを愛しているだけなのに・・・。
 
どんどん罪悪感を溜め込んでしまう。。

子どもとずっと一緒にいることが愛でも、
いつも笑顔で優しくすることが愛でもないのです。

ママは、いつだって子どものことを思い
食事の支度、洗濯など身の回りの世話をしてます。
 
その日常全てが子どもへの愛に満ちている。
 
だって、愛してもない人のために毎日食事の支度、洗濯、掃除など身の回りの世話なんてできない。
 
日常生活すべてが愛なのです。
 
だから
一緒に遊んであげられなくても、ずっと一緒にいられなくても
罪悪感を感じなくていい。
 
子どもは一緒にいてくれること、遊んでくれること、
全て自分の思い通りにしてくれることを愛だと思ってるから
泣き叫び、どうにかして自分のわがままを押し通そうとしてくる。
 
でも、泣こうが、叫ぼうが、わめこうが
無理なものは無理!できないものはできない!と言っていい。
我慢させていい。
子どもの顔色うかがわなくていい。
 
そして、今は一緒に遊べないけど
ママはあなたを愛しているんだと伝える。

ママは、子どもと一緒にいるため
子どものわがままをきくためだけに、生きているのではない。
 
家事を優先させるのは当たり前。
時には自分を優先させたっていい。
 
親としての責任は、子どもを自立した大人に育てること。
 
自立って、自分で自分の人生を創っていくことができることです。
 
そして、社会のルールを教え、社会生活をしっかりできる大人にする。
自分軸をしっかり持った人間ならば、社会の中で自分の個性を活かし活躍していくはず。
 
厳しさも愛、日常すべてが愛
 
私は娘に、自分の人生を自分で切り拓き、夢を叶えていって欲しい。